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暦の根拠法令とは

 さて、職業とは無関係のうんちく話から始めたが、そろそろ法律の話と関わりを持たせるように努めることにしよう。
 前回触れたわが国における太陽暦の採用だが、法形式上は「太政官布告」という形を取っている。太政官(だじょうかん)というと単独の役職名を連想するが、明治政府の当初における最高機関(組織)である。慶応4年(1868年)4月(この年9月に明治に改元)に設置された後、たび重なる制度改革を経たが、終始行政と立法を束ねていた。
内閣制が発足するのが明治18年(1885年。このとき太政官制も廃止)、帝国議会が産声をあげるのが明治23年(1890年)である。
「太政官布告」という法形式は明治19年2月に廃止された。それまでは一般国民を拘束しうるものとして制度上存続していたのだが、従前の布告は、後でできる法令に矛盾しない限りその後も引き続き効力を有するものとされた(後日あらためて述べる)。
さて、太陽暦を採用した太政官布告だが、これは明治5年(1872年)11月9日に出されている。
われわれ法律家は、机の上かその周辺に分厚い六法全書を置いているが、どんなに分厚いものであっても持ちあげられる程度の本に納まっているのは法令全体からみればごく一部なので、そこに載っていない法律を探すために、法務省のウェブサイトにある「法令データ提供システム」には、頻繁にお世話になっている。インデックスページは、
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cg
 そのシステムで簡単にアプローチできる。といっても、この太政官布告、旧仮名遣いアレルギーが比較的少ない者であっても何が書いてあるのかとまどうという代物ではある。