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Pride

今回から,ブログの方で「プラス思考の技術」の連載を始める。週1回くらいのペースにする予定である。 

 今回のテーマとして,「プライド」を扱う。「誇り」と日本語で言えばよさそうなものだが,巷間,「プライド」に関してある種の表現が日常茶飯的に用いられているように思われ,そのこととの対比でその本来的役割を見つけ出してみたいと思い,あえて「プライド」という横文字をテーマに掲げることにした。
プライドという名詞から連想する動詞は何ですかと問われたら,どう答えるだろうか?私は,かなり多くの人が,「傷つく」と答えるのではないかという気がする。
「あの言葉で私のプライドを傷つけられた」とか,「今回の敗北で彼のプライドはずたずたに引き裂かれた」などという表現を頻繁に耳にする。
「プライドが傷つく」のは正常な事態ではない。もしも上記の私の推測が当たっているとするなら,「プライド」という言葉は,異常事態で,それも傷つけられるというマイナスの文脈で用いられることが多いということになる。
 プライドは,傷つけられるために心の中に存在しているものではない。少し考えれば誰でもわかるはずである。ところがもしも「傷つく」という以外の動詞をなかなか連想できなかったとすれば,それは,その人が,プライドの役割を,普段はあまり意識していないということを意味する。もっといえば,プライドに対して,みずから意識的に明確な役割を与えていないということになる。
もしそうだとすると,プライドという言葉は,その人にとって,主に負の局面で用いる言葉,つまり,基本的にはマイナス思考用アイテムになってしまっている可能性が強いということにもなる。
 プライドの本来果たすべき役割とはいったい何だろうか。
大枠の結論を先に言ってしまうならば,「その人の生き方を支えること」といっていい。
それは,プライドの力をもって自分の生き方を律し,誤った生き方をしないということである。そうした生き方を積み重ねていくと,その事実が,さらにプライドを分厚くしていく。そうした生き方をしてきた,そして今後もしていけるという自信こそが,落ち込みそうになったときに,その人の心を支えるのである。プライドの本分は,まさにプラス思考のアイテムなのだ。
 これがプライドの本来あるべき姿,果たすべき役割というものだろう。したがって,あるべき姿としていうなら,「プライド」という言葉に結びつくべき動詞は,「支える」,「保つ」,「律する」といったような種類のものでなければならないはずである。
事実としてプライドに結びつけて用いられがちな動詞が「傷つく」であるとしても,真のプライドというものは,そう簡単には傷つかない性質のものである。なぜなら,真のプライドとは,単純に本能や虚栄心から派生するものではなく,人生観をもとに形成されるものであり,信条・信念ということと結びつくものだからである。つまりプライドによって自分を律するということであり,逆に,そうして自分を律して行くことの積み重ねにより,自分は信念に従って生きてきたという自信が生まれ,そうした自信は,プライドに厚みや重み,強さを付け加えるのである。
 さて,プライドに明確に役割を与える場合には,さらに,もうひとつ忘れてはならないテーマが生ずる。それは,「プライドを形成する」ということである。
傷つくためだけのプライドならば,その内容がどのようなものであっても,傷つくということ自体は可能なので,それでなんら差し支えないわけである。それは,ただ心の中にありさえすればいい。極端にいえば,それが厳密にプライドである必要さえもなく,虚栄心のようなものであっても傷つくということはできる――むしろイミテーションのほうがより傷つきやすい――のである。虚栄心はともかくとしても,自分を守りたい,いい気分で過ごしたい,ただ格好をつけていたい,そうした,本能とそんなに違いのないものであっても,傷つくことだけはできる。だから,「傷つく」という文脈だけで考えるかぎり,「プライドを形成する」という問題はあまり気にならないということになる。
しかるに,自分の人生を支えるものとしてのプライドは,内容的に自分の人生観に沿ったものでなければ,その本来の役割を果たすことができないはずである。ここに,「プライドを形成する」という重要な問題が発生することになる。
 プライドをどうやって形成すべきかというのは,人生観そのもの,生き方に関わる大きな問題である。自分が何を信条とし,どういうふうに生きて行きたいかということと関係がある。次回にもう少し掘り下げてみたい。