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太陽暦は明治政府の陰謀で突如導入された

ところで、日本では、中国に倣い、長い間太陰太陽暦が採用されてきた。鎖国を続けていた江戸時代に、オリジナルの中国の暦と現実とのずれが深刻なものとなり、日本独自の暦を作成することになる。そのことを描いたのが冲方丁(うぶかた・とう)氏の「天地明察」であるが、その話はまた別の機会に。
日本では、明治5年に太陽暦を採用し、明治5年の12月2日の翌日が明治6年の1月1日となった。つまり、明治5年の12月3日から12月30日までは、歴史上存在しない日、というわけである。これには裏話があり、それまでの暦(天保暦)では明治6年に閏月が入ることになっていて、1年13か月となり、公務員の給料を13か月分払わなければならないことになることに気づいた明治政府が、明治6年の給料を1か月分節約するために、急遽太陽暦を採用したのだと言われる。しかも、明治5年12月分の給料も支払われなかった。当初は12月自体をなくしてしまおうともしていたともいう。(11月が小の月だったので、元来29日で終わるはずのところを、その次の日を11月30日、その次を11月31日とし、さらにその翌日が明治6年元旦というように。)為政者の考えることは、常にかくのごとしかと感じてしまう。