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18 思考を止めない

このシリーズでは,プラス思考の技術,方法論を検討している。
プラス思考の対極にあるのがマイナス思考であるが,それはどのような「思考」をいうのだろうか。いや,そもそもそれは「思考」の名に値する営みなのだろうか。
これまでのこのシリーズを読破してきた読者は既にお気づきだろうが,著者は,物事を前向きに捉えながら生きていこうということの基盤には,実は「熟慮」,あるいは「省察」というものがあるという考えを前提にしてきている。つまり,この問題で重要な意味をもつのは,考える姿勢,方法,筋道といったものであり,まさにプラス「思考」の技術が問題なのだ。
他方,マイナス思考というものが,熟慮の結果出てくるものかという点については,多分に疑問がある。
むろん将来予測を行うに際し,科学的根拠をもった検討の結果悲観的な結論を導くということはありうるだろう。しかし,いわゆるマイナス思考というものは,多くの場合,そのような深い省察の結実というよりも,むしろ憂鬱的気分の支配を意味するように思われる。つまり,マイナス「思考」というけれども,仔細に観察してみれば,それは「思考」の態をなしておらず,実際には,単なるマイナス「志向」なのではあるまいかと。
流れる水は腐らないという。反面,淀む水は腐敗し易い。流れない思考,停止した思考というものは,気分を腐らせ,マイナス志向を生み出すということはないだろうか。
この連載の第3回(tomorrow is another day.)で,悩みそうになったら寝ることにするという生活の知恵に賛同した。それは,眠い時に物を考えてもいい知恵は出てこないので,それくらいなら就眠したらいいという趣旨であった。これを思考停止の勧めというように理解される向きもあったかもしれない。
しかし,それは,そこでも指摘したとおり,あくまで不作為としてのマイナスエネルギー投入防止ということに限定しての戦術であり,寝て起きて腹いっぱいになって心身が元気になるまでのつなぎのものであるから,思考停止というよりは思考中断の勧めというほうが当たっている。人間の心身には疲労ということがあるし,精神的な負荷によって影響されることは不可避であるから,悪条件下では思考を中断して休息したほうがいい場合もあるということを指摘しただけである。第3回の末尾に記載したとおり,心身が元気になったら,「なるようになる」から「やるべきことをやる」という積極思考に転換すべきなのだ。
思考停止は,上記のような,休息のための思考中断とは異なる。思考停止とは,人間としてのありようの探求をやめることである。逆境からは逃避するという形をとり,それは,最終的に自己の正当化を不当に図るという形で収束する。そのために,解決策は場当たり的であり,その場しのぎに過ぎない。すなわち,逆境における思考停止こそは,マイナス思考の元凶というべきなのではないかと思う。
逆境にあって思考停止を起こさないためにはどうすべきか。
一つには,普段から物事を良く考えておくことであろう。思考習慣を身につけるということだ。性能の良い発電・送電装置を準備しておけば停電しにくくなる。
もう一つ忘れてはならないのは,停電時のための思考用バックアップバッテリーを準備しておくことだ。たとえば,逆境用に普段から育てておくプライドは,何もかも嫌になりそうになったときに,その心を支え,思考を続けさせるために働くであろう。
普段から物事を良く考えるということのためには,たとえば読書習慣が必要であろう。また,同じ読書をするにしても,それがたとえ権威者の書物であっても,結論だけを鵜呑みにするのでは,思考ということに結びつかない。思考ということは自分の心を見つめなおすということであり,他人の思考は外部に存在するのだから,それを直輸入するだけでは思考とはいえない。他人の思考については,批判的に見て自分で消化するという姿勢が肝要である。
ここでひとつ注意しておきたいのは,思考することが習慣であるのと同様,思考停止も習慣なのだということである。そのような間違った習慣に陥らないように注意する必要がある。次回は,思考停止の悪例をあげつらう予定である。
さて,思考停止は一見楽そうに思えるので,ついついそうなってしまいがちなのだが,よくいわれるように,足を止めて長い間棒立ちになっているのと,同じ時間歩き続けるのとでは,前者のほうが疲労度が大きい。思考停止は,本当はそんなに楽なことではないということも知っておいたほうがいい。気の持ちようということでいうなら,思考し続けるほうがよほど楽なのである。
このシリーズは,実は,読者に何が楽な生き方なのかを知ってほしいという狙いもある。多少遠回りで面倒臭そうに見えるけれども,思考を続け,その中で他者の人生を思うことのほうが実はずっと楽な処世なのだということを,このシリーズ完了までに,読者にはぜひ理解していただきたいとも願っているのである。